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サマラの全地形車博物館:第二次世界大戦の悪路を彼らは何で走破したのか

サマラの全地形車博物館:第二次世界大戦の悪路を彼らは何で走破したのか

サマーラには秘密が多い。戦時中、この街はクイビシェフと呼ばれ、ソ連の予備首都だったからだ。地元ではスターリンの地下壕、ジグリ山脈の地下を通る二両の戦車が並んで通れるほど広いトンネル、地下壕の入口に潜水艦が接岸したというヴォルガ川の秘密水路などが語られている……。そうした伝説と事実の中に、ヴォルジスキー地区の邸宅の一つに収められた全地形車コレクションがある。40台以上を所蔵する私設サマーラ全地形車博物館だ。これらを見比べれば、戦時下の荒れ地で機動性を確保するという共通課題に対し、各国の技術者たちがどのような解答を出したのかがよく分かる。

設計者に全地形車を与えると戦車を作る

極端な理想主義は自動車設計者だけのものではないが、彼らは特に重症らしい。全地形車を設計せよと言われると、すぐ戦車にしてしまうのだ。

GAZの設計者ヴィタリー・グラチョフは1941年、軽偵察全地形車GAZ-64の前車軸に4分の1楕円形板ばねを意図的に採用し、車輪より前に何も突き出さないようにした。盛り土、丸太、垂直の段差に当たったとき、車体自体が障害物へ乗り上げることを狙ったのである。だが戦車の履帯とは異なり、タイヤの牽引力では足りなかった。グラチョフは断念し、2号試作車にはバンパーが付いた。

四輪駆動GAZ-61-415ピックアップとGAZ-61-416砲兵牽引車

四輪駆動ピックアップGAZ-61-415と砲兵牽引車GAZ-61-416。前輪キングピンの横方向角度が異常に大きく、10度ある

同じ時期、小さなフランス企業Lafflyの技術者も負けず劣らず野心的だった。彼らはVLT、Véhicule de liaison tout-terrain、つまり「不整地連絡車」を作った。爆発で月面のようになった野原を走るため、前方の張り出し部と車体下に補助ローラーを装着し、車輪の空転を抑える側面駆動式伝達機構を採用した。車軸間差動装置が一つだけで各車軸の車輪の角速度がほぼ同じになるため、追加の差動装置は不要だった。

1941年に約40台だけ作られたGAZ-61-416砲兵牽引車

ゴーリキー自動車工場が1941年に生産できたGAZ-61-416砲兵牽引車は約40台だけだった
民生用GAZ-M-415ピックアップのキャブ

GAZ-61-416の簡素さに比べるとGAZ-61-415の室内は豪華に見える。これは「民生用」ピックアップGAZ-M-415のキャブ

戦後、ヴィタリー・グラチョフは宇宙船回収用の有名な全地形車を設計する際に再び側面駆動方式へ戻った。これらは実際、悪路走破性で履帯式運搬車を上回った。しかし軽量全地形車にも同じものを求めるのは妥当だろうか。

資料写真に合わせ乗員ベンチを再現したGAZ-61-416復元車

GAZ-61-416の作業は修復ではなく復元再現と呼ぶべきだ。車体配置は歴史家ユーリー・パショロクがTsAMOで写真を発見して初めて判明した。乗員ベンチは側面ではなく中央にあり、その下に砲弾箱があった。作り直す必要があった。スーツケースは標準装備で、砲照準器を運ぶためのものだった。

戦時経済は冷酷

複雑さは戦場での故障要因であり、余分な重量でもある。そして重量は費用に直結する。戦時経済は冷酷で、単純で安価なものが複雑で高価なものに勝つ。米軍需品部隊は偵察車の仕様を文字どおりポンド単位で定めた。発想は設計より先に進んでいた。なぜ障害物へ真正面から挑む必要があるのか。全地形車が小さく軽ければ、回り込み、少し押し、場合によっては人力で運べばよい。


1941年、旋回架DS機関銃を備えたR-1ことGAZ-64試作車

GAZ-64試作車、別名R-1(「偵察1号」)。旋回架にDS機関銃を搭載。TsAMO資料、1941年

四輪のオートバイ

米国の新聞では、後のJeepは「四輪のオートバイ」と呼ばれていた。ここに興味深い共通点がある。歴史家ユーリー・パショロクは国防省中央公文書館(TsAMO)で、1941年4月にクビンカの赤軍主自動車装甲局試験場で行われたGAZ-64試作車の試験報告を発見した。試験場側が試作車を酷評すると、グラチョフはこの車が「陸軍のオートバイ部隊で使用するため」に作られたことを思い出させた。

モスクワ近郊Patriot Parkに展示されたサマーラ製R-1復元車

モスクワ近郊Patriot Parkに展示されたサマーラ製R-1復元車

エフゲニー・プロチコは著書赤軍の軽全地形車(モスクワ、Exprint、2004年)で、GAZ-64の歴史はグラチョフが中型機械工業人民委員マルィシェフに呼び出されたことから始まったと書いている。マルィシェフは米国誌自動車産業の写真を示し、同様の車を作るよう命じた。その写真はBantamがホワイトハウスの階段を上る姿とされたが、実際には議会議事堂の階段を上るWillys Quadだった。

グラチョフの後年の回想によれば、米国車に合わせるため輪距を狭くするよう要求された。その米国車はDC-3輸送機の胴体内に収まる幅で設計されていた。しかし赤軍にそれほど狭い輪距が必要だったのだろうか。

1941~1943年に672台だけ作られたGAZ-64全地形車

GAZ-64は1941~1943年に672台しか作られなかった。現在コレクションにある「64」の大半は復元再現車である

51日と致命的な狭い輪距

ゴーリキーの技術者はわずか51日で試作車を完成させた。その後、発注側の主な問題点を修正し、多くの点でJeepを上回る車になった。狭い車軸さえなければ。GAZ-64は横転しやすかった。しかもシャシーは重心の高いBA-64装甲車と共用だった。1943年に輪距を広げ、さらに改良を加えた結果、GAZ-67という名称になった。

Bendix-Weissが特許販売を拒否した後、ゴーリキー技術者が解析して作った等速継手

Bendix-Weissは等速継手の特許販売を拒否したため、ゴーリキーの技術者が自力で仕組みを解明した。この継手は後にGAZ-69とGAZ-M72にも使われた

通風口の由来:前後2基エンジンのTempo G1200

フロントガラス前の尖った通風口は、グラチョフがハンブルクのVidal & Sohn Tempo-Werk GmbH製、前後2基のエンジンを持つTempo G1200から借用したものだろう。TempoはGAZ-64、NATI-ARと比較試験された。2ストロークのオートバイ用エンジン1基では明らかに力不足だったので、もう1基追加された。運転者は片方だけでも両方同時でも始動できた。スロットル、クラッチ、変速機は連動していた。まさに見ものだ。

前後にエンジンを持つTempo G1200全地形車

1936~1944年に前後駆動式Tempo G1200は1,253台製造された。Wehrmachtはこの珍車を拒否したが、ブルガリア、デンマーク、ルーマニア、フィンランドは採用した。40か国が研究用に購入した
Tempo G1200の前部Ilo 2気筒エンジン

前部Iloエンジン(2気筒、596 cm3、19馬力/3,500 rpm)。変速リンケージは上部を通る。複雑な構造だが、使用評価は良好だった
Tempo G1200
縦軸回りに回転できるTempo G1200前部動力ユニット

Tempo G1200の前部動力ユニットは縦軸を中心に回転し、地形へ追従できた。開発者Otto Dausは、成功しなかった航空機設計者だった

技術的な珍品か。まさにそのために博物館がある。同じ問題への異なる解決策を「金属の実物」で比べられるからだ。

「ジューコフの車」

全地形車博物館で最も価値のある展示品は、「Emka」(GAZ-11)を基にした四輪駆動乗用車GAZ-61-73である。10年前、サマーラ近郊ウプラヴレンスキー村の、半ば土に埋もれた放置ガレージから発見された。

GAZ-11 6気筒を搭載する四輪駆動GAZ-61-73

GAZ-61-73。この全地形車にはGAZ-11直列6気筒が搭載された。省庁間の対立でエンジン生産は危うく頓挫しかけた。航空人民委員部がエンジン工場をGAZから取り上げたからだ

この発見は極めて特別だ。これまで現存が知られていたGAZ-61-73はコーネフ元帥を乗せた車だけだったからである。この時代の軍用車は全般に非常に珍しい。ヴェルフニャヤ・ピシュマのウラル戦闘栄光博物館にはGAZ-4ピックアップと、わずかに残った戦前装甲車がある。希少な四輪駆動トラックZIS-32はサンクトペテルブルクの愛国団体Lenrezervが発見した。モスクワ州の家具工場Moonの所有者エフゲニー・ショマンスキーは、独特な半装軌車ZIS-33とZIS-42を復元した。コーネフのGAZ-61を苦労の末に入手したのもショマンスキーだった。

GAZ-61-73計器盤下の前車軸接続ピストル型レバー

GAZ-61-73の運転者右側、計器盤下には前車軸を接続するピストル型レバーがある。AvtoVAZ科学技術センターが残存布片を基に内装生地の復元を支援した

サマーラの「61」が誰に使われたのかは分かっていない。ただし、クイビシェフに置かれていた最高司令部予備司令部で使用されたことは判明している。パショロクはTsAMOで、1942年9月29日にGAZ-61一台が「国防人民委員代理、陸軍大将ジューコフ」へ送られたことを示す文書を発見した。つまり、これもジューコフの車の一台だった可能性がある。

GAZ-61の1段トランスファー

GAZ-61の動力装置は牽引力と柔軟性に優れ、低速副変速機なしの1段トランスファーを使用できた

世界初の存在

技術史の記念物としての価値は疑いない。密閉式全金属ボディを持つ量産四輪駆動乗用車として世界初だからだ。この車の手本はMarmon-Herrington LD2で、ゴーリキー自動車工場が1939年秋に購入した唯一の「米国車」だった。GAZ-61は開発当初phaeton型ボディを持ち、GAZ-M1を基にしたGAZ-73型の密閉ボディは、厳寒の1941~1942年冬に軍の修理工場の一つで初めて取り付けられたことも覚えておきたい。

GAZ-61の生産台数はごく少なく、わずか212台だった。しかしそこから続く深い轍は、やがてNivaへつながる。

地中からの発見

展示車はどこから来るのか。多くは文字どおり地中から引き上げられる。戦場で発掘者が見つけた部品はすぐ分かる。埋まっていたため、天然痘にかかった人のあばた顔のように凹みだらけだ。腐食は特定箇所の金属を深く侵し、1941年夏にドイツ戦車部隊が赤軍防衛線の弱点を突いた姿を思わせる。

こうした発掘品を砂吹き処理すると錆は落ち、穴だらけの金属だけが残る。とりわけ薄鋼板は砂吹きに弱い。地中で75年も「責任ある保管」をされれば、完全に貫通するまで腐食している。多くの場合、板金部品は作り直すしかない。補修板さえ役に立たないこともある。溶接する相手そのものが残っていないからだ。

スターリングラード近郊に残されたSteyr

だからSteyr Typ 270 1500Aのような展示車は一段と価値が高い。ちなみにPorsche設計局がTyp 147として開発した車である。ドイツ軍はスターリングラード近郊の村の真ん中にこの車を放置した。燃料管内の結露が凍ったのか、こちらの戦車が突然突破したのかは不明だが、とにかく捨てられた。Steyrはそこで長年、ヴォルガ流域の「親切な」土へゆっくり沈んでいった。何年たっても地元の子供たちは中で遊ぶのを怖がったという。ほぼ完全な状態、少なくとも復元可能な状態で、最終的にサマーラ・コレクションの所有者の手に渡った。

重乗用車用標準第2型ボディを持つSteyr Typ 270 1500A

Steyr Typ 270 1500A。標準Einheitsfahrgestell II für s. Pkw.、つまり「重乗用車用第2型ボディ」を持つ。8人乗り「乗用車」の総重量は4,160 kg。第16装甲師団長の車両
Glaser製快適ボディのSteyr Typ 270 1500A-1

Gläeser製快適ボディを持つSteyr Typ 270 1500A-1。85馬力3.5 V8の吸気部がバンパー下に垂れ下がる設計(Porsche Typ 145)にもかかわらず、当時最高級の全地形車の一つだった

「Kopanina」:地中から出た物は誰のものか

新語を作るときのロシア語の力はすごい。「kopanina」、つまり掘り出し物。テレビは現場の歴史愛好家をKibalchishとPlokhishの二種類に分ける。「良い少年」は軍事愛国クラブに入り、戦没者を改葬する。「悪い少年」は武器や爆発物を掘り出して悪賢いテロリストへ売る。宣伝には中間がない。「中核」の後ろ盾なしで土をいじろうなどと考えてはいけない。だが発掘者すべてが「黒い発掘者」ではない。土の下から出た物すべてが国家のものでもない。では何が国家のものなのか。

四輪操舵の軽標準乗用車BMW-325

BMW-325、「軽標準乗用車」。HanomagとStoewerも独自部品で同型を製造した。四輪操舵。フェンダーにはWehrmacht第6山岳猟兵師団の「黄色いエーデルワイス」。ドイツ人の記号好きは偵察兵にとても役立ち、敵軍戦術標識の資料集まで作られた。同一形状のドアという考えは後にGAZ-69で使われた
乾式油槽潤滑を持つBMW 6気筒

BMWセダンやスポーツクーペ同様の6気筒には、不整地での油切れを防ぐ乾式油槽潤滑が追加されている
BMW 325の斜め装着減衰器

BMW 325の減衰器は斜めに装着。車輪を切れば整備できる。車自体は高価で信頼性が低く、3,225台だけが製造された。軍はオートバイを優先した

ロシアの「地下資源法」は古い機械の探索を直接扱っていない(第6条第6項は「鉱物学的、古生物学的その他の地質資料」の採集だけを挙げる)。地中から出た全地形車を地質資料と呼ぶのは難しい。ただし「法律は葦のようなもの……」という言葉どおり、同法第33条は「所定の手続きにより自然保護区、保護地域、自然または文化の記念物と指定された」土地での活動を禁じている。

Laffly開発Hotchkiss W15T砲兵牽引車

Hotchkiss W15T砲兵牽引車はLafflyが開発。複雑だが信頼性があり、塹壕を越え、雪上走行も多くの車より優れていた。同型はドイツ占領下でCitroenとLa Licorneも製造。フランス軍には63台、ドイツ軍には約900台が渡った
Laffly V15T
Laffly-Hotchkiss-Licorne全地形車の運転席

Laffly-Hotchkiss-Licorne全地形車の人間工学はかなり悪い。たとえば蓄電池切断スイッチは……運転者とは反対側にあった

「地下資源利用中に科学的または文化的価値を持つ物体が発見された場合……利用者は当該地点で作業を停止し、許認可機関へ報告しなければならない」。この「……その他の物体」という危険な表現が、どれほど多くの夢を壊してきたことか。

Boxの愛称を持つHumber FWD全地形車

Boxの愛称を持つHumber FWD。戦時中、英国の老舗はこの頑丈な全地形車を5,199台製造した

罰金、それとも6年

さらに重い法的手段もある。ロシア行政違反法第7.15条「許可なく考古学調査または発掘を行うこと」だ。森で金属探知機とシャベルを持ち、タブレットから戦闘地図まで見つかれば、愛好家の法律知識の程度に応じた厄介事を覚悟した方がよい。興味深いことに、行政調書が「考古学的発掘」としていれば「考古学的調査」より弁護しやすい(どちらもロシア連邦諸民族の文化遺産、歴史文化記念物に関する法律の用語)。なぜか。調査は何かを見つけようという明確な意図を意味する。一方、発掘の場合は考古遺産区域内で地面を実際に損なったことを証明しなければならない。

第二次世界大戦で最も成功した水陸両用車KdF-166 Schwimmwagen

KdF-166 Schwimmwagen、第二次世界大戦で最も成功した水陸両用車。15,584台製造。この車は戦術標識から「Grossdeutschland」装甲擲弾兵師団所属だったと分かる

しかしこれは罰金にすぎない。ロシア連邦刑法第243.2条「考古学的物体の所在地からの違法な探索および/または取り出し」では、最高6年の懲役となり得る。優秀な弁護士は助けになる。法律は文化層の損傷や破壊が具体的に何を意味するか定義していないからだ。行為の例として縦穴を掘ることなどが示されるだけである。ロシア科学アカデミーの学者が鑑定のためブリャンスクの沼へ入る危険を冒すこともないだろう。それでも起訴される手続き自体と弁護士費用は十分に不愉快だ。

Kettenkradと呼ばれたSdKfz 2 NSU HK 101履帯付きオートバイ

第二次世界大戦で最も奇抜な全地形車SdKfz. 2 NSU HK 101は分類が難しい。ドイツ軍は「履帯付きオートバイ」(Kettenkrad)と呼んだ

沼、川、湖

探すなら沼、川、湖の方がよい。縦穴を掘る必要がない。武器や弾薬を見つけたら警察と爆発物処理班を呼ぶ程度で済む。ただし遺骨は困る。三度捨てられた車でも構わない。できれば敵が捨てた車がよい。さもなければ1993年1月14日第4292-1号「祖国防衛で死亡した者の記憶の永続化に関する法律」が関わり、愛国官僚主義という沼にはまる。

もう一つ。ドイツの装甲兵員輸送車やT-34戦車を掘り当てるのは御免こうむりたい。ロシアでは武器と装甲車両は軍のものだ。2006年1月19日付ロシア国防省命令第28号により、発見された軍用装備は軍、具体的にはロシア軍軍事記念センターの管轄となる。持っていかれても何も言えない。欧州で買って持ち込むのはよいが、ロシア国内で見つけるのはだめだ。

技術と戦術

もう一つ興味深い展示品がMercedes-Benz L 1500 AシャシーのMannschaftskraftwagenである。直訳すれば「分隊用車両」。ドイツ軍は戦争末期にこうした車の価値を理解した。当時、前線が比較的短く、後方には優れた道路網があるという予想外の戦略的利点を得たからだ。これにより予備兵力を危険地域へ素早く移動できた。

新しい軍事部隊、対戦車分隊が現れた。アルベルト・シュペーアの指導下で、ドイツ産業は月に100万発のFaustpatron対戦車弾を生産した。この「Faustnik」部隊はMannschaftskraftwagenに乗せられ、コーネフ、ジューコフ、ロコソフスキーの戦車に向けて送り込まれた。

1.5トントラックシャシー上のMercedes-Benz L 1500 A

Mercedes-Benz L 1500 Aは1.5トントラックのシャシー上に作られたが、重乗用車に分類された。ボディはSteyr Typ 270 1500Aとまったく同じ

標準化の代償を払った将校

こうした車両はドイツ軍でKfz.70として標準化された。Ford Köln、Horch、Mercedes-Benz、Phänomen、Steyr、Wandererなどが製造した。この考えを提案したアドルフ・フォン・シェル大佐は標準化の代償を高く払った。統一できたのは車体だけだった。産業界の大物と自己利益を優先する党官僚が彼の賢い提案に反対して結束し、ヒトラーお気に入りだったフォン・シェルはノルウェー勤務へ送られた。

1940年T202 VC ½トンバンを含むDodge全地形車

Dodge全地形車。1940年T202 VC ½トンバン、その後ろに1941年T211 WC-1とT211 WC-6
Chevrolet Canada製カナダ軍規格野戦砲兵牽引車

CMP FAT、Chevrolet Canada製カナダ軍規格野戦砲兵牽引車。悪路性能はDodge ¾トンを上回り、操縦性も良く、高速道路では時速60マイルで楽に巡航できる

トラックか、重乗用車か

Kfz.70の基礎は四輪駆動1.5トン車、または「重乗用車」だった。なんという矛盾した表現だろう。米国は逆に全地形車をトラックとして分類し、Willys MBとFord GPWは4分の1トントラック、Dodge WCは¾トントラックとされた。そして歴史は繰り返す。現在の軍用四輪全地形車は性能面ですでに第二次大戦期Jeepを上回っている。

簡易Kübelwagen桶型ボディのチェコスロバキアTatra T57K

チェコスロバキア製Tatra T57K、簡易「桶型」ボディ(Kübelwagen)。1941~1945年に5,415台、1948年までにさらに640台製造。コレクションでは珍しい一軸駆動車の一つ。プラハ技術博物館から購入した。
Tatra T57Kの空冷水平対向エンジンとラック・ピニオン操舵

Tatra T57Kの特徴は空冷水平対向エンジン、ラック・ピニオン操舵、機械式ワイヤーブレーキ。始動クランクを使うにはボンネットを後方へ開く。フェンダーと一体のため、車輪が少しでも切れていると開けられない。
Tatra T57K計器盤唯一の計器である速度計

Tatra T57Kの計器盤にある計器は速度計だけ。大きく中央にある。Miniのようだ
Tatra T57Kのボンネット下燃料タンク

Tatra T57Kは当時の多くの車と同じくボンネット下に燃料タンクを持つ。兵士は燃料量を……普通の油量棒で測った

ゴーリキー公園の戦利品から私設コレクションへ

いつかこれらも博物館へ入る。戦利品としてかもしれない。1943年からモスクワのゴーリキー公園では「鹵獲ドイツ兵器展」が開かれていた。何世代もの少年がその伝説を語り継いだ。しかし宣伝上の役割を失うと、大部分はスクラップとして売却された。

サマーラの展示車を見ると、今は別の時代なのだと実感する。清潔で手入れされ、下には受け皿がきちんと置かれている。すべて走るから油も漏れる。目移りする。子供時代の夢が並んでいる。イタリアのSPA、チェコのTatra、英国のHumber、フランスのLa Licorne、ドイツのSchwimmwagen、さらには日本のKuroganeまで。より身近な車ならGAZ-67B、Willys MB、Dodge「¾トン」。いま「予測不能な過去」とわずかな皮肉を込めて呼ぶ時代の、手で触れられる重い歴史である。

Bantam BRC-40を走らせる

「Bantik」! ロシアの運転手はこの全地形車を親しみを込めてそう呼んだ。小さく軽快で、Walt Disneyの作品から飛び出した生きた漫画の登場人物のようだ。

Bantam BRC-40

「Bantik」の音

車体は巨大なハサミで屋根板から切り抜いたように見える。同じ丸いペダル面が野原のキノコのように床から生えている。流線型モダン風の、わざと大げさな楕円計器は、どう見ても偶然ここに入ったようだ。そして音。エンジンは冷たくしわがれた声で喘ぎ、消音器は咳をし、トランスファーは一定に唸り、予備部品箱の蓋が鳴り、左の等速継手がパキパキ鳴る。シャシーからも何かが叩く音がする。自在継手なのか板ばねの目玉なのか分からない。

国内に3台だけ、うち2台がサマーラ博物館にあるBantam BRC-40

国内にある3台のBantamのうちの1台。2台はサマーラ全地形車博物館にある。武器貸与で約1,500台がソ連へ入った

運転してみる

「Bantik」との出会いは短かった。この希少車が所有者にいくら掛かったのか考えないことにした。(復元したのはBantamの第一人者である米国人Dunkar Rollz。)1速に入れて出発。長い「シャベル」のようなレバーでの変速には慣れが必要だ。3速Borg-Warner T84は選択性も正確さも乏しい。

しかし床支点式のペダルは意外に使いやすい。凹凸を越えたときのステアリングの衝撃はGAZ-67Bよりかなり柔らかい。曲がるとき、リムから感じるのは路面情報というより抵抗だ。「山羊」やWillysの座席と違い、Bantam BRC-40の前席には横支えがあり、座面上で体が滑らない。さらに驚いたのは45馬力で「Bantik」には十分すぎることだ。少なくとも砂地の道を安全に走るには足りる。

Willys MA 739ドルに対し1,166ドルだったBantam BRC-40

Bantam BRC-40の販売価格は1,166ドル、Willys MAは739ドルだった。しかしAmerican Bantam Car Co.は米陸軍の需要を満たせず、契約はWillysとFordへ渡り、Bantamは彼らのために……トレーラーを作るようになった

切り欠きのある低い側板のため、四輪バイクに乗っているような感覚が最後まで消えない。張った帆布屋根は、背の高い運転者の頭頂部を将校帽より早く擦るだろう。クレムリン士官候補生だった人の頭よりも早いかもしれない。第二次大戦の兵士はもっと背が低かったのか、それとも設計者自身が背が高くなかったのか。

ニコライ・ウラジーミロヴィチ・フリプノフ
サマーラ全地形車博物館館長

コレクションについて

このコレクション計画は著名な復元家ヴャチェスラフ・レンと一緒に作った。軍用車収集家の聖典ともいえるBart Vanderveenの歴史的軍用車両一覧を使った。復元品質には高い基準を設けている。その基準に達しない全地形車は今のところ予備として保管している。

まだコレクションを一般公開する段階ではない。3年前に私設文化機関を設立した。展示車はさまざまな会場へ出している。たとえばモスクワのポクロンナヤ丘にある大祖国戦争中央博物館や、モスクワ州のPatriot Parkである。サマーラのパレードにも参加している。

要点一覧

  • 博物館: ヴォルジスキー地区にある私設サマーラ全地形車博物館。40台以上を所蔵し、まだ一般公開されていない
  • 主役の展示: サマーラ近郊の半ば埋もれたガレージから見つかったGAZ-61-73。密閉式全金属ボディを持つ世界初の量産四輪駆動乗用車で、ジューコフの車だった可能性もある
  • 希少性: GAZ-61はわずか212台、GAZ-64は1941~1943年に672台のみ
  • 最も奇妙な車: 前後に一基ずつエンジンを持ち、スロットル、クラッチ、変速機が同期するTempo G1200。1936~1944年に1,253台製造
  • ドイツの標準車: Kfz.70。Ford Köln、Horch、Mercedes-Benz、Phänomen、Steyr、Wandererが製造。発案者アドルフ・フォン・シェル大佐は、その標準化の結果ノルウェーへ左遷された
  • ほかの収蔵車: Steyr Typ 270 1500A、BMW-325、Hotchkiss W15T、Humber FWD、KdF-166 Schwimmwagen、SdKfz. 2 Kettenkrad、Tatra T57K、Dodge WC、Willys MB、GAZ-67B、Bantam BRC-40二台

よくある質問

サマーラ全地形車博物館は見学できるか? まだできない。コレクションは一般公開されていない。個々の展示車はポクロンナヤ丘の大祖国戦争中央博物館やPatriot Parkなど別会場で公開され、サマーラのパレードにも参加する。

GAZ-64はJeepのコピーだったのか? コピーではないが、Jeepの写真が製作命令のきっかけだった。マルィシェフ人民委員が自動車産業誌の写真をグラチョフに示し、同じようなものを作れと命じた。ホワイトハウスの階段を上るBantamと思われた写真は、実際には議会議事堂の階段を上るWillys Quadだった。グラチョフのチームは51日で試作し、いくつかの点ではJeepを上回った。

なぜGAZ-64はすぐGAZ-67へ変わったのか? DC-3に収まるよう設計された米国車に合わせて輪距を狭くしたことに加え、背の高いBA-64装甲車とシャシーを共用したため横転しやすかった。輪距を広げ、ほかにも改良した結果、1943年にGAZ-67となった。

ロシアで戦時車両を掘り出すのは合法か? 法的には非常に危険である。行政違反法第7.15条は無許可の考古調査・発掘を扱い、刑法第243.2条では最長6年の刑があり得る。2006年1月19日国防省命令第28号により武器と装甲車は軍のものとなり、人骨が出れば1993年の戦没者記憶法が関係する。

Tempo G1200とは何だったのか? 前後に一基ずつエンジンを持つドイツの全地形車である。2ストロークのオートバイ用エンジン一基では力不足だったためだ。運転者は片方だけでも両方でも動かせた。Wehrmachtは採用を断ったが、ブルガリア、デンマーク、ルーマニア、フィンランドが使用し、40か国が研究用に購入した。

写真: fortepan.hu, sa-kuva.fi | アンドレイ・クリュコフスキー | デニス・オルロフ

これは翻訳記事です。元の記事はこちらで読めます: サマーラ私設全地形車博物館:第二次世界大戦期、人々はどんな車で悪路を走ったのか

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